雑感:神の目線

以前、マイブームで競技麻雀の団体戦「Mリーグ」にはまっていると書きました。あの時は主にYouTubeによる解説動画などを楽しんでいたんですが、最近はついにABEMAテレビで競技のLIVE中継を観るようになり、麻雀観戦の沼にどっぷりと浸かっています。特にLIVE中継はアナウンサーや解説者がプレーヤーの考え方や心境なんかを面白可笑しく話てくれるのでとても楽しいんですが、それよりも楽しいのが「神の目線」を持てるからだと感じています。

と言うのも、麻雀は見えている牌から相手の隠している牌を予測するゲームですが、テレビ中継だと4人全員の隠している手をすべて見ることができます。そうすると、視聴者である私はどの牌が当たりでどれが大丈夫かをすべて知った上でプレイヤーが悩み考え抜く姿を観ている訳で、

『あぁ~、それ切ったら当たるよ!』とか

『それは大丈夫だから、さっさと切っちゃえよ』とか、まさしく神様の立場でゲームを眺めることができます。

で、これって結構珍しいケースじゃないかと思っていて、例えば将棋や囲碁だと棋士が次に指す手を予測するのは素人レベルではとても難しいし、ましてやそれが正解だったのかどうかも終わってみるまで理解もできません。野球やサッカーなどのスポーツも選手交代やサインを評論することはできても、それが正解かどうかは終わってみなければ分からないし、そもそも評論そのものが結果論でしかないこともよくあります。

その点、麻雀のLIVE中継は観ている誰もが神様の目線でゲームを眺めることができ、なんか 1段高いところから全体を睥睨(へいげい)しているというか、プロと呼ばれる超一流のプレーヤーたちが私だけが知りえる情報を知らないというだけで悪戦苦闘している姿が見られると言うか、とにかく優越感が半端ないんです。

なので、将棋中継のような『おぉ~、凄い手思いつくなぁ』といった感嘆の声をあげることは無いし、スポーツ中継のように『よし、いいぞ!行け行け!』と気合が入ったり、一緒に盛り上がったりすることはありません。

でも、応援しているチームの選手が間違った牌を選びそうになったら『止めとけ、それは違う』とか『そーそー、それそれ』とか、普段使うことのない掛け声やため息が漏れるのも麻雀中継の楽しみの一つです。

これって、経営学やマーケティンでは情報の非対称性と呼ばれる、いわゆる情報格差が起こっている状況と酷似しているように思います。メーカーと消費者の場合、原材料や製造工程など細かい情報を持っているのはメーカーで消費者はそれらの情報をほとんど知らされないまま商品を選んでいます。よく使われる例として、中古車は事故の有無が売り手にしか分からないので、売る時に『この車は無事故ですよ』と言われても買い手は確認できないのできません。

そうすると、買い手は売る手を信用できないのでなるべく安くで買おうとするので、中古車全体の価格が下がってしまい本当に事故のない車も安くでしか売れないため手放すのは諦め、結果として市場には事故車ばかりが出回ることになります。これをレモンの原理と言いますが、我々は普段は情報劣位者と呼ばれ、売り手よりも少ない情報で判断をする立場に置かれています。

なので珍しく情報優位側(視聴者)になり、すべての情報を知りえる立場になると、情報劣位者(画面の中の麻雀プレーヤー)の行動が非合理的でバカなものに見えてしまいます。

でも、情報劣位者の限られた情報を駆使して必死で戦っている姿が、普段の自分の姿と重なって見える時がある、、、応援にも力が入りますよね。