感想文:幸福の資本論

今回は、ダイヤモンド社から出版されている橘玲さんの「幸福の資本論」について感想を書いていきたいと思います。この本はとある人からお勧めされて読んだのですが、過去の自分と今の自分が置かれている状況を説明するのにとても分かりやすく、私自身がFIRE生活を肯定する理由付けをしてくれた本です。

この本では幸福に生きるための土台(インフラ)は「金融資産」「人的資本」「社会資本」の3つから構成されている、としています。言葉の意味を端的に説明すると、金融資産は自由になるお金のことで、人的資産とは働いて得る収入のこと、社会資本は人間関係や社会とのかかわりのことです。

本の冒頭に、なぜこの3つを幸福のインフラとしたのかが書かれていますが、幸福の条件として、①自由であること、②自己実現を目指せること、③共同体=絆を築くこと、が挙げれたています。自分が今、幸せなのかを感じるポイントは人それぞれ違うし、『これだけあれば全員幸せだ!』みたいな万能なアイテムや定義は難しいでしょう。本書で言う3つの条件は、どれか一つでも欠けると幸福感を感じない、言わば最低条件なのかもしれません。

例えば、あらゆる決定を自分でおこなっていても(=自由)、自分のやりたくない仕事をやらないと生きていけない(≠自己実現)状態は幸福ではありません。陶芸職人が自分の好きなことを自由にやっていても、周囲に誰もおらず、その作品を見たり買ったりする人が誰もいない(≠絆)のは幸福とは呼べません。

私はこの整理方法にとても共感し、自分の置かれている状況を客観的に知ることができました。20代の仕事を始めた頃は金融資産が乏しく、人的資本(=給料)も少ない状態でした。 それをカバーしたのが社会資本だったように思います。最初の赴任地が縁もゆかりも無い福井県だった私は、近くに学生時代の仲間もおらず、お金もない寂しい生活をするはずでしたが、見かねた周囲の人たち(同僚や取引先)が何かにつけ声をかけてくれ、休みの日は常に誰かと競馬場に行って遊んだり、山で山菜取りや畑づくりの手伝いなどをしていました。つまり、金融資産と人的資産は足りなくても、社会資本が充実していたので、自分を不幸だと感じていなかったのです。余談ですが、25年経った今でも当時の人たちから『今度はいつ帰ってくる?』と連絡をもらうことがあり、社会資本(=絆)の強さを感じています。

そして、勤め人を辞める直前は、これが逆転します。金融資産と人的資産(=給料)は増加したものの、社会資本が極端に減ったように感じました。それを顕著に感じたのは、休みの日の過ごし方でした。営業職だった30代半ばまでは休みの日でも勤め先の同僚や取引先の人たちとゴルフに行ったりBBQしたりと、それなりに予定を入れていました。それが本社勤務のいわゆる内勤になるとパタリと止まりました。恐らく、普段から会う人の数が圧倒的に少なくなり、共通の趣味や遊びをする人が周りにおらず、自然と自分ひとりで過ごすことが増えたのだと思います。私にとってこの状態、つまり金融資産と人的資本が充実していても社会資本が不足することは幸福の満足感が低かったのでしょう。いつからか社会資本を求めて地方移住に憧れを持つようになり、最後には早期退職の道を選びました。

FIRE生活をスタートした今は金融資産は少しずつ減っており、人的資本もゼロに近い状況です。ただ、社会資本は日々充実しつつあります。目論見どおり田舎の濃い人間関係は社会資本を強化するのにはうってつけでした。庭でDIYなど何かの作業をしていると通行人が声をかけてくれたり、色々なお裾分けをいただいたり、周囲の人が気に掛けていてくれることひしひしと感じます。

今回の「幸福の資本論」は3つのインフラを軸にしながら、人生100年時代の働き方や生き方についても示唆されています。このパートもとても参考になり、共感することもかなりあります。もし、今の自分に満足していない、不幸だと感じている人は、この本が「何故、自分は不幸なのか?』を冷静に分析するための良いきっかけになる考え方を教えてくれるかもしれません。手に取ってみてはいかがですか?