この間、所用があって福井県越前市に行ってきました。福井県は25年ほど前に最初の赴任地として配属された土地で、その当時の懐かしい人たちに会うために、片道4時間ほどドライブしてきました。今日は、その時のことを書いてみます。
1995年阪神淡路大震災のあった年の4月に某保険会社に入社した私は、1ヵ月の研修を終えて縁もゆかりも遊びに行ったことも無い福井県武生市(現、越前市)に配属されました。当時の武生市は人口7万人の福井第二の都市でしたが、印象は『緑が綺麗でのどかなところだなぁ』でした。
福井県は新幹線が通っていない数少ない都道府県の一つ(計画はあるようですが、、、)で、空路もお隣石川県の小松空港が最寄になり、今でも直線距離以上に遠い印象があります。今回は、久しぶりのロングドライブだったので高速道路をのんびりと走りました。1999年以来となる北陸自動車道は所々工事で車線規制をしていましたが、運転席から見える景色はほとんど変わっていなくて、郷愁を誘う懐かしい風景が続きました。
でも、武生インターを出たら、景色は一変。地形こそ変わらないものの、街中は大きく変わっていました。国道沿いには大型ショッピングセンターやドン・キホーテなんかもできており、街中には新しく拡張された道路が敷設され、ナビがなければ目的地にたどり着けないのでは、、、と思うくらいに25年前の面影がなくなっていました。当時は、3階以上の建築物が少なく見晴らしが良いイメージでしたが、今は少し空が狭くなったように感じました。
今回の旅の目的はドライブに加えて25年前の懐かしい人たちに会うことでしたが、こちらは見た目こそ年を重ねていましたが、話し言葉や人の温かさは全然変わっていなくて、とてもホッとしました。私がお世話になった時に40代~50代の働き盛りだった人たちは、今では70歳前後になっていましたが、今でも変わらず仕事や趣味を続けていて、昔と変わらず生き生きしていました。
中には山の一部を買って開拓している人もいて、実際に開拓地を見せてもらいましたが、陶芸用の窯や炭窯、すでに解体していましたが養鶏場などやりたいことを詰め込んだ贅沢な遊び場を長い時間をかけて作っていました。
この場所は、田舎で好きなことしかやらない生活を始めた私にとっては目の毒です。気が付くと『あぁ~、俺もやってみたいなぁ。淡路島でもできるかぁ』なんて思い始めていて、慌てて頭を振って『ダメ、ダメ!余分なこと考えるな』と自分で自分を説得していました。
帰り際には皆さんから食べきれないほどのお土産を持たされ、1泊2日の小旅行でしたが滞在時間以上にどっぷりと武生を満喫して、すっかり充電されて島に帰りました。
前回の日記では最近の遊び相手は知り合って間もない人たちが多い、と書きましたが、今回は昔懐かしい人たちとの交流で感じたことを書きました。どちらも私にとっては「ありがたい人間関係」で、今の生活を楽しむために必要な人たちなんだと改めて感じました。
社会学には「弱いつながりの強さ」という理論があります。血縁や親族関係のような強いつながりではなく、仕事だけの付き合いやSNSでメッセージをやり取りするだけの人たちなど、関係性が弱いいわゆる「知り合い」をたくさん持つことが人生を豊かにすると言われています。
この理論の正しさを心から実感した私は、これからも弱いつながりを探して、もっともっとFIRE生活をエンジョイしていこうと思った貴重な旅になりました。