雑感:卒業シーズンに思うこと

最近、テレビのニュースで卒業式の様子を見ることが増えました。昨年度に引き続き、今年度もコロナ渦で大変な思いをした学生さんも多かったはずで、そんな逆風にもめげずに無事に卒業された方々に心から『おめでとうございます』と言いたいです。

私の最後の卒業式は高校時代までさかのぼります。と言うのも、大学は1995年3月に卒業したのですが、この年の神戸は1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。そして、大学院は2020年3月に卒業したのですが、こちらはコロナで式典が中止になり、結果的に直近2回の卒業式を経験できていない、という不運に見舞われました。

大学生の時は実家のある神戸に住んでいたので、1月17日から2カ月半を被災民として過ごし、鉄道も復旧していない3月末に就職のために上京しました。私の場合、勉強よりもクラブ活動(アメフト)に熱中していたため、4年生後期の時点で卒業までに必要な単位が38ほど残っていて、卒業はほぼ不可能という状況でした。今から考えると失礼な話ですが、4年生の時の就職活動は模擬試験と割り切っていて、当時でも100社以上の企業にエントリーするのが普通だったのに、私は片手ほどの数の面接しか受けず、それでも有難いことに1社から内定をもらっていました。留年が決定する3月には「ごめんなさい」の連絡をするのだと思うと少し心が痛みましたが、そもそもアメフトの最後のシーズンの方が優先順位が高かったので、その頃の授業は1回も受けた記憶はありません。

そんな折に、あの地震です。大学の校舎も地震直後には機能不全となり、少し落ち着いたころには被災者を受け入れる施設に利用されていました。こんな状況では後期の試験などできるはずもなく、、、結果的にエントリーした授業のすべてで単位が取得できてしまい、そのまま卒業させられました。仲間内では「震災卒業」と呼ばれ、留年組から一転、社会人への道を歩むことになりました。

なので、留年する気満々の私は心の整理ができていないまま新社会人としての新生活がスタートし、目まぐるしく変わる生活についていくのがやっと。地震で高速道路が崩落したため、実家にも帰れず大学時代の仲間とも会えず、、、また、今と違って携帯電話も普及していない時代でメールやLINEもなかったので、誰かと頻繁に気軽に連絡を取ることもなく、主な話し相手は職場のメンバーや取引先の人たちでした。

一方、大学院の卒業時は社会人生活もすっかり板につき、だからこそ色々なことが客観視できました。特に、私にとっての卒業式の意味や意義なども、式典が無いからこそ考えることができたのだと感じました。

46歳にして「学生の本分は勉強」を身をもって知り、できることならこのまま勉強だけしている生活を切望しましたが、そんなことは叶いません。ちゃんと社会に復帰しなければ、ただの世捨て人になってしまうので、自分自身への「けじめ」として卒業式が必要なんでしょう。もちろん、卒業式は学校関係者や学友に感謝を伝える場でもありますが、それは式典じゃなくてもいい話。

式典は大きな会場にたくさんの人を集め、華美で荘厳な雰囲気を演出することで、普段の学生生活とは違う非日常感と「ハレの日」の特別感を最後に味わわせて、明日からの甘えの許されない厳しくて複雑で面倒な社会に放り出す、、、そんな大きな山門を『ガン!』と閉じて逆戻りを拒絶するようなイメージなんじゃないかなぁ。

私は、最後の「けじめ」の儀式をやっていないからか、社会人に復帰してから1年も経たずに会社勤めをドロップアウトして、学生よりも気楽なFIRE生活をはじめてしまいました。

卒業式やってたら、真面目に働いてたのかなぁ~。