【FIREの日常】#24 雨の日の過ごし方

今年の冬は淡路島にも雪が積もったり、まとまった量の雨が降りました。そんな時は家庭菜園やピザ窯制作、散歩など外に出ることが億劫になり室内に引きこもっています。今回は、そんな雨の日に思ったことを書いていきます。

元々、私は雨が嫌いではありませんでした。学生時代にやっていたアメリカンフットボールはフィールドスポーツのため、天候に関係なく試合はおこなわれます。そのため、雨の日でも練習は当然のようにやるのですが、普段のメニューとは異なり雨の日バージョンとでも言うか、雨の日にしかできない練習になるのです。ボールが水を被ると滑りやすくなり、地面に落とすことが増えるので、その場面に備えて雨の日は泥だらけの水たまりにボールを置いて飛び込む練習をします。

この練習はユニフォームが汚れるし身体中が泥水でびしょびしょになるし、でとても嫌なのですが、上級生から「行け!」と言われると「無理です」とは言えないのが体育会の悲しい性。何度も何度も順番が来る都度、水たまりに飛び込みます。こんなことを2~3回も繰り返すと、なんだか無性に楽しくなってきます。いわゆる、ハイな状態ってやつです。二十歳も過ぎた大人が雨の中で大声をあげながら泥水にダイブするというとてつもなく馬鹿々々しいことを公然とやっている恍惚感と、泥だらけのユニフォームを家に持って帰って洗濯をお願いする背徳感が妙に気分を盛り上げたのだと思います。そして、一度この感覚を味わうと雨の日の練習が待ち遠しくなり、自分が上級生になるころには後輩にも遠慮なく「行けぇ!」と掛け声をかけていました。

でも、社会人になると雨が嫌いになりました。やっぱり、雨の中をスーツを出ていくのは嫌です。特に、足元が。濡れた革靴の気持ち悪さと言ったら、私にとっては他に例えようのないくらい不快なものでした。それでも仕事なので、南の島の大王のように『雨が降ったらお休みでぇ~♬』とはいかず、いつも通り出社しますが、そんな日は一日中不快感が残ります。

さらに、損害保険会社の本社に勤務していた頃は、大雨が降ると土砂崩れや洪水がないかを心配するようになり、災害級の雨は勘弁して欲しいと思うようになりました。

それが、淡路島でFIREな生活をしていると、雨は学生時代のように嬉しいものに戻りました。まず、野菜たちに十分水を与えてくれます。淡路島の水道水は神戸から供給されているため高額で、家庭菜園には雨水を使っています。そのため、雨水タンクに水が溜まっていく様子を見ると、なんだか嬉しい気分になります。

次に、室内でのんびり過ごす日は時間の流れが遅く感じられ、普段やっていない色々なことがやれます。例えば、普段の読書はどうしても新刊が中心になりますが、雨の日は時間があるので、すでに読破済み漫画の2度読み3度読みなんかも、ラジオやYoutube Musicをかけながらやっています。そして、漫画で目が疲れたらシアタールーにこもって映画とアニメ三昧です。最近では、「3月のライオン」や「約束のネバーランド」、「転生したらスライムだった件」など話題になっているものを一気見してます。

FIREな生活を始めてから、小学校の時に習った「晴耕雨読」という言葉に当時は何故かとても心惹かれ、これが自分にとっての理想の生活なんだと考えてたことを思い出しました。会社員になって、こんなことすっかり忘れていましたが、今は、小さい頃に漠然と思っていた理想の生活を実現しているのかもしれません。

実際の40年後はテクノロジーが進化して「晴耕DIY雨読観」とやることは増えていますが、、、