大人の成長って、、、悲しいの?

今回は、大人の成長から派生した雑感について書きます。

以前にも書きましたが、2021年の12月半ばまで仕事の都合で関東近辺に滞在しています。約10か月前のコロナ真っ只中、挨拶もそこそこに逃げるようにして東京を離れたので、今回の上京で何人かの懐かしい人たちと久しぶりに親交を深めています。

つい先日、その中で最も成長を期待していた一人の女性Aさんと会いました。彼女とは辞める直前の部署で一緒に仕事をした仲で、当時はかなり厳しく接した記憶があります。と言うのも、彼女と一緒に仕事を始めた頃すでに会社を辞めることを決心していた私は、後任として彼女を成長させる義務があると勝手に焦っており、高めのハードルを設定したり、論理的な説明を求めたりと、Aさんにとっては迷惑な話ですが、スパルタな教育方針で指導していました。

そんなAさんは、その後も無事?に会社生活を送り、順調に昇格していきました。それらの様子は年に2~3回LINEでの近況報告で承知をしていたのですが、今回は彼女が管理職に昇格したということで、お祝いも兼ねてご馳走させていただくことになりました。

お祝いの席では昔話(クレーム?)に終始するかなぁ、と想像していたのですが、一転、現在の部下育成の悩みが主で恨み節などほとんど聴けませんでした。プロ野球の野村克也監督が『地位が人をつくり、環境が人を育てる』という言葉を残されていますが、Aさんを見ていると地位が新たな悩みと課題を生み、それを解決しようともがくことで地位に相応しい人格が作られるのだと心底感じ入りました。

美味しい食事とほどよいお酒も相まって、おめでたい席では終始Aさんの成長を心から喜んでいたのですが、帰りの電車で少し酔いが醒めると、Aさんの発した何気ない一言を思い出し、持ち前のモノを斜めから見る「何故、何故スイッチ」がONになりました。

Aさん、
『いやぁ~、あの頃言われていたことが、今ならよく分かります』
『あの頃、出来てないと言われて悔しかったことが、今なら普通にできるようになったんです』

ごくごく普通の会話なのですが、私の脳みそは勝手に…

何故、昔はできなくて、今は出来るようになったの?

出来るようになるには肉の熟成みたいに時間が必要なの?

成長にも熟成期間が必要なら、当時の私の人材育成はきっかけを与えるだけだったの?

って言うか、その立場に就かないと、その立場の気持ちには成れないのなら育成って意味あるの?

と、こんなとこまで行きついて、これは意外と悲しいことなのでは、、、と違うことを連想しました。吉田松陰の歌に「親思ふ心にまさる親心」とありますが、これだと本当の親心は親になるまで理解できないことになりますし、そもそも人の本当の気持ちは本人以外の誰にも理解されないことになります。難問です。。。

西武池袋線の急行に乗りながら結論の出ないこんなことを考え、淡路島に帰ったら心理学の本を読んでみようと決めたのでした。。。