所長の自己紹介

所長の田畑です。

と名乗ってはみましたが、他に従業員もいないので、ここからはすべて「私」で統一します。

第2次ベビーブーム真っ只中の1972年、私は大阪府で産声をあげ、その後、小学生から高校卒業までを兵庫県の西宮市で過ごしました。中学・高校とも公立でしたが、今では考えられない1学年10クラスで450人くらいの同級生がいました。

高校3年の冬には、その前年に共通一次試験から替わったセンター試験を受け、そのまま二次試験を経て神戸商科大学(現、兵庫県立大学)に入学しました。大学では学業よりもクラブ活動(アメフト部)がメインで、4年間のほとんどをキャンパスではなくグラウンドと部室で過ごした気がします。こんな学生生活を送ったつけが溜まって、4年のころには単位がギリギリで、就職活動はするものの内心では「留年するだろうなぁ」と思っていました。就職氷河期の奔りにもかかわらず、運よくとある損害保険会社に内定をいただきましたが、翌年の春に留年を報告するシーンを想像して、本心から喜ぶことができませんでした。

しかし、ここで事件が起こります。1995年1月17日阪神淡路大震災です。当時、部活は引退し、卒論も書き終え、留年に備えてアルバイトに励んでいました。その日も前日23時にアルバイトを終え、普段通り布団に入りました。そして約5時間後、震度7の直下型地震が神戸を襲いました。その頃の住まいは、西宮から神戸の垂水区に引っ越ししており、震源地のすぐ近くで尋常じゃない揺れを体験しました。

これが幸か不幸か、人生の大きなターニングポイントになりました。大学のキャンパスは神戸市内でも比較的被害の少ない地域にありましたので、校舎を被災者の宿泊所として開放し、多くの地域住民を保護していました。当然、授業もなくなり、そして、、、テストも無くなりました。そうです、4年生としてアメフトのリーグ戦に全力を傾け1度も授業に出たこともなかったすべての教科で単位を授与され、ギリギリだった単位が本当にギリギリで卒業まで達していたのです。「震災卒業」という言葉がぴったりで、社会人になる準備がないまま社会に放り出された気分になりました。

ここからはかなり端折りますが、損害保険会社に入社後、営業として福井・神戸・東京で14年を過ごし、その後の10年は本社(東京)の企画部門や人事などコーポレート部門を転々としました。

そして、入社から24年後、東京を離れて田舎暮らしがしたいという思いがピークに達し、ついに会社を早期退職しました。その後もしばらくは田舎でも仕事が探せるようにと、東京で中小企業診断士の資格取得を目指して大学院に入学し、さらに大学院卒業後は行政書士の資格も取りました。

あらゆる準備が整った2021年春、ついに念願かなって淡路島の南あわじ市に家を買い、リフォームなどなんやかんやあって、やっと9月から「あわじ生活」がスタートしました。今は、行政書士の登録も無事に完了して、のんびりとホームページを作成しています。

こんな「私」が、これからも思いつくまま感じたままを色々と書き綴っていきますので、よかったら御贔屓に。。。