【FIREの日常】#8 働く、ということ

FIREな生活をはじめた結果、「働く」という概念が変わってきました。

今、『お仕事は?』と聞かれると、『行政書士とか中小企業診断士をしてます』と答えていますが、まだ具体的な業務をおこなっているわけではなく、限りなく無職に近い状態です。そのため、ものごとを考える時間はたくさんあり、「働くって何?」とか「仕事とは?」などと哲学的な思考に耽ることが増えました。と言うのも、これまでの私の概念だと、仕事とはどこかの組織に所属して労働の対価として所得を得ることで、働くことこそが社会との最も強固な繋がりだと考えていました。

でも、今は無職状態。どこの組織にも所属せず、所得もない状態です。これがしばらく続くと、平日昼間から家に居ることへの疎外感から派生して仕事をしていないことへの罪悪感を感じ始めます。何も生産せず消費だけをおこなう存在。世の中の大多数が非生産人間だけになったら、社会はどうなるのか、、、などと意味のないとこまで行きつく始末です。

では、今の私にとって仕事とは何を指し、働くとはどういうことなのでしょうか。

結論はまだ出ていません。ただ、ネガティブモードからは脱しつつあります。「もう仕事をすることはないかもしれないが、働くことは辞めない」これが今のスタンスです。

私の脳内ディスカッションでは「仕事」の定義は相変わらず「どこかの組織に所属すること」のままで、ポジティブな再定義はできていません。「仕える事」という漢字の印象が強すぎて、会社や上司に奉仕するイメージから前に進まないのです。

しかし、「働く」の定義は変わりました。これまでは「所属している組織のために労働力を提供し利益をもたらすこと、および労働力を提供し生活費を稼ぐこと」だと信じ、会社と自分の生活のために一所懸命に働いてきました。これがFIREになってから「働くことは人が動くこと。自分のためじゃなくてもいい。自分以外の利益のために行動することも含まれる」となりました。やっぱり漢字って凄いですね。字の形自体が意味を持ち、そこから概念を連想するようなことは、ひらがなやアルファベットにはない、表語文字の漢字ならではです。

FIREになった私は自分の生活や組織のために働く必要はなくなりましたが、社会と断絶したいわけではなく、繋がりは保っていたいのです。だから、誰かのため、、、例えば地域で困っている人たち、あるいは近所の子供たち、お年寄りなど、自分や家族以外の人たちに私の労働力を提供したくなっているのかもしれません。これはセカンドライフ起業にソーシャルビジネスが多いことに似ています。生活資金に余裕ができた人たちが、社会課題解決を目指して利益をどがえしして活動する。

つまり、FIREが増えれば、社会はもっと良くなる???  だったらいいですよね。