ちょっと変わった学園生活

今回は、私が40半ばで通った大学院でのことを書きたいと思います。

私は中小企業診断士の1次試験合格を知ったある年の9月、当時の上司に「今年いっぱいで会社を辞めたい」と伝えました。理由は「違う場所で違うことをしてみたい」という何とも子供じみた馬鹿な理由ですが、当時の私は真剣でした。そして、診断士2次試験も当然受かると信じ勉強に励んでいたのですが、同年12月結果は敢え無く沈没、わずかに点数が足りませんでした。
今さら辞職を撤回するなど格好悪くてできないので、真剣に「40歳を超えての浪人生活」を考えていました。「1日何時間勉強しようか」「空いた時間はバイト入れるか」など、もんもんと考えていた時にふとしたきっかけで知ったのが、診断士の養成課程という制度でした。

これは、診断士の1次試験合格者が2次試験をパスする代わりに決められたカリキュラムを受講して資格を得るというもので、短い学校だと半年、最長でも2年で卒業する仕組みです。すでに4月からフリーターとして時間が有り余ることが確定している私は、昼間も授業のある全日制で、かつ、すぐに受験できる学校を探し、法政大学経営大学院(イノベーションマネジメント研究科)に行きつきました。期間は1年、中小企業診断士の資格だけでなく、MBA(経営学修士号)も取得できると知って、即受験手続きをおこないました。余談ですが、この時の受験料を銀行から振り込んだのですが、窓口の綺麗な方と

窓口:「お子さん、受かるといいですね」

私   :「いえ、私なんです」

窓口:「大変失礼しました、お父様でしたか」

という、誠に申し訳ないやり取りがあったことを鮮明に覚えています。

果たして、24年ぶりに学生生活を送ることになった私は、オールドルーキーの気持ちを持って学舎の自動ドアをくぐったのでした。周囲からは「ひとりだけおっさんが居る」とか「あの年で学生?」などと揶揄されることを覚悟し、それでも(若い)友達100人できるかなぁ、などと呑気なことを考えながら教室に入るとそこは、、、
私よりも年上の方々が半分近くいて、かなりアダルトな雰囲気が漂っていました。例えるなら休日の動物園ではなく銀座の画廊、水族館ではなくN響のコンサートホールのような、どことなく慣れ親しんだ空気を感じました。

確かに入学条件に「社会人経験3年以上」とありましたが、自分よりも先輩にあたる方々が平日昼間の大学院に通うとは夢にも思わず、自分の世間知らず振りを反省した次第でした。
結局、1年かけて友達100人とまではいきませんでしたが、充実した第二の学生生活を送ることができ、とても満足しています。
学校の様子やその時の暮らしについては、また別の機会に、、、